何も知らない。分からない。というスタンス
彼は、当時のソフィスト(弁論家。正しいかどうかも分からないのに、ある事ない事それっぽく話してるひと。 それが真実であるかは関係がない。説得できれば勝ち。)たちがあたかも正しそうに話し、民衆が疑うこともなく信じ込んでいた考えや物事に対して、純粋に疑問を投げ掛けた人物。
私はソクラテスという人物が好きだ。
権威やみんなが信じているから正しいとされた事に流されず、疑問を持ち続け、それを投げ掛け続けた、その生き様にしびれる。
「正義」とはこういうものだ。「愛」とはこういうものだ。
「美」とはこういうものだ。「政治」とはかくあるべきだ。
様々な観念、べき論に向き合った。問答法を用いて。
そもそも、「愛」「正義」「美」「悪」、、、って何なんでしょうかね、みたいな感じで。とっても軽い風に問う感じで。
今の時代こそ、ソクラテスのスタンスが必要なのだと思う。
「無知の知」である。
分からないと自分で分かっている、これが大切なんだ、と。
私たちが生きている時代は情報が多すぎる。氾濫を起こしていて、飲み込まれそうだし、もうすでに飲み込まれているのかもしれない、気付いていないだけで。
だからこそ、分からない事は分からないと認める勇気を持とう。
知ったかぶりをしないで。分からない事は恥ずかしいことじゃない。
だって、この世界は分からない事だらけで、だからこそ面白いのだし。
分からなかったら、学べばいい、調べればいい。
分かった気になっていたのでは、そこで打ち止めだ。
分からないと認めた分だけ、その人の伸びしろになると思う。
分からないことは分からない。
でもそれは当たり前のことなんだ。
それを認識したところから、始まりだと思う。
この世界は不思議で分からない事だらけ。
分からない事を分かるようにしていく事も人生。
とても楽しい道程。
ではまた。